浜名湖かんざんじ温泉について


     ◎名前の由来

かんざんじ温泉のある庄内半島の岬の先端に、標高50mの舘山(たてやま)があります。ここに約1200年前(810年)、弘法大師により「舘山寺」が建立されました。創業当初は真言宗でしたが、明治初期に1度廃寺となり、その後明治23年に曹洞宗の禅寺として中興。この舘山寺が温泉名の由来です。


     ◎開湯1958年(昭和33年)

●第一温泉源→九重入口
●第二温泉源→パルパル内
●第三温泉源(現在)→フラワーパーク前
○泉質:ナトリウム・カルシウム塩化物温泉
○泉度:25.5℃
○適応症:神経痛・筋肉痛・関節痛・
       五十肩・冷え性・慢性婦人病


     ◎かんざんじの歴史

浜名湖パルパル・大観覧車がある丘陵には、昔「堀江城」というお城がありました。(また、九重前御陣山には家来がつめていた陣屋があり。)お城は戦国時代「大沢基胤(もとたね))」が築城(大沢家は「藤原鎌足・道長」の流れをくむ名門)。当時ここ遠江は、駿河の今川義元の配下にあり大沢家も今川家に属していました。しかし早いうちに、隣国・三河の国「徳川家康」と和睦したため、その後江戸時代になってからも、吉良家と1、2位を争う、同じ「高家(幕府の儀式や朝廷への使節を司る位)」に選ばれるなど大変優遇されました。その大沢家も、明治維新が起こり廃藩置県(1872年)の時、石高を、実際5500石しかないものを1万石と偽って報告し、一旦は堀江県ができるも、嘘がばれて浜松県に合併されました。(=万石事件)


天下人・徳川家康と堀江城
家康は1570年(当時29才)に浜松城入城。17年間この地、浜松で過ごしました。1579年 当時、正妻・築山御前と嫡男・信康は岡崎城にいましたが、信康の正妻・徳姫(織田信長の娘)が、父信長に「信康」が「武田勝頼」と内通していると告げた事より、立腹した信長は家康に、信康の成敗を命じる。最後は二俣城にて自害した信康は、その前にここ「堀江城」に一度入城していたのです。


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